予告編 「誰?」2007年09月23日 23時25分22秒


近日公開 (・・・・・・・・たぶん)

ヴェラ=エレン その1「別人」2007年09月25日 00時12分36秒

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「ダニー・ケイの牛乳屋」(1946)の宣伝写真。
MGM時代の彼女とは別人のようです。


 ヴェラ=エレンのダンスを観ていて、私の頭に思い浮かぶイメージは「下位に取りこぼしの少ない大関」です。
 それなりの実力を持っていて欠点というほどものもないが、観客の心に強く迫るだけの何かが技術や身体能力も含めて決定的に不足している。丁度、「いつも十勝前後を挙げ、取り口は正攻法。下位の力士には強いが横綱と当たると負けてしまう大関クラスの実力」が彼女の踊りを評価するのに最適だというのが私の考えです。

 その「隣のお姉さん」的な愛らしさも含め、タップからモダン、ジャズ、ボールルームダンスと幅広いレパートリーをそつなく、一定以上のレベルで踊る実力は評価しなくてはいけないのでしょうが、あまりそつがなさ過ぎると書きようがないし、まして書こうという意欲が湧いてきませんでした。
 
 ところが彼女について調べているうちに気が変わります。
 彼女についての信頼できる詳しい資料は今のところ”Vera-Ellen: The Magic and the Mystery”(David Sorenら 著 2003年) しかない(ネット上の略歴もこれを参考にして書かれたものがほとんど)ようですが、これを読んでいて、彼女の人生の方が自身のダンスについて書くよりずっと面白いと気づいたのです。もちろんそれはフィルムの上に映し出されるヴェラ=エレン自身のダンスとも無縁ではありません。

というわけで、今回は上掲書を参考にしながら彼女の人生を辿ってみたいと思います。

 追々、これまでに出した彼女の写真がMGM以降とは別人のように見える理由も、名前に挿入された「ハイフンの謎」も明らかになるでしょう。

ヴェラ=エレン その2 「ちっちゃい」2007年09月29日 00時53分55秒

1934年

左端がヴェラ=エレン。
これで13歳?!!

「ダンスが上手かったから好きになったのか、好きだから上手くなったのか、よくわからないのよ。たぶん両方かもね。」


Vera Ellen Westmeier Rohe(ヴェラ エレン・ウエストマイアー・ローと発音するらしい。本名にハイフンはない)は1921年2月、オハイオ州シンシナティ近郊のノーウッドに、父マーチン、母アルマの一人娘として生まれます。ノーウッドは元来ドイツからの移民が集まった地域で、彼女の両親も共にドイツ移民の子孫です。
近隣で話される言葉もドイツなまりが強く、後に彼女自身「アメリカにいながら外国生まれのような気分だった」と語っています。双方の家系ともに裕福ではありませんが、父のマーチンはピアノ調律師の仕事をまじめに務め、笑顔を絶やさぬ人でした。

母親の家系の遺伝なのか、ヴェラ=エレンは 幼少期から非常に小柄で、小学校では「同級生より頭一つ小さい」と言われるほどの体格だったようです。さらに、内気で本に埋もれるのを好む性格だったため、心配した両親は、彼女が9歳のときに二つのことを勧めます。ヤギのミルクを飲むこととダンスのレッスンでした。

 「私は本の虫って言われてたの。母がシンシナティのダンスの先生の処へ連れてってくれたのは9歳の時ね。あんまり立ち振る舞いが不器用だったから、父も母も私がもっと洗練されてほしかったんでしょう。
 行ってみてわかったのは、私はダンスが好きだし、みんなも私を観るのが好きみたいだってことね。それで通ってみることに決めたの。」

 彼女の通ったのはElenor and Harry H. Hessler's Mount Adams Dance Studioという長い名前のダンススタジオ。丁度大恐慌のさなか、贅沢品のピアノの調律が減ってお金のなかった父親は、調律を無料で引き受ける代わりに、スタジオの月謝を免除してもらったそうです。