エレノア・パウエル その6 「撮影」2007年02月18日 22時58分53秒

ホノルル

 「踊るホノルル 」(1939)よりフラダンスとタップの融合。
撮影当時はフラダンスの側からの批判もあったようですが、彼女のダイナミズムとエロティシズムが適度に混じり合い、なかなか魅力的です。

とはいえ、長々と余計な話が続いて、今回もエレノアのダンスにたどり着きません。


 1936年MGMの専属となったのちは、年に1-2本の主演映画と各地でのキャンペーン公演が主な活動になります。ここに、専属前の「踊るブロードウェイ」から1940年の「踊るニュウヨーク 」までの作品を挙げてみました(括弧内の最後は封切り年月)。

「踊るブロードウェイ」(Broadway Melody of 1936 '35年9月)、
「踊るアメリカ艦隊」(Born to Dance '36年11月)、
「踊る不夜城 」(Broadway Melody of 1938 '37年8月)、
「ロザリー」(Rosalie '37年12月)、
「踊るホノルル 」(Honolulu '39年2月)、
「踊るニュウヨーク 」(Broadway Melody of 1940 '40年2月)

 このへんが彼女の全盛期と言って良いのでしょう。とりわけ「踊るブロードウェイ」「踊るアメリカ艦隊」「ロザリー」はそれぞれの年度でトップクラスの興行収益を挙げています。

 ではこれらの映画のミュージカルナンバーはどのように作られていたのでしょうか。

 彼女の歌は基本的にMarjorie Laneらによる吹き替えです。ミュージカルナンバーの振付家は当然いますが、エレノアの踊りはすべて彼女自身が振付けています。彼女はダンスのアイデアを得るためあらゆることを利用したようで、夢からでもインスピレーションを得るよう、ノートを常にベッドのそばに置いていたそうです。

 出来あがったナンバーは四度踊らねばなりませんでした。最初は振付された後にリハーサルとして。二度目には録音室で踊ります。オーケストラが正しいテンポで演奏できるよう、消音のためのマットレスを敷いて踊ります。三度目は音楽を流しながら撮影のために踊りますが、出来あがったフィルムはサイレントです。カメラの移動音、監督の叫び声、見物人のつぶやきなどが邪魔になり、タップの音を同時録音することが難しいからです。最後に録音室でヘッドホンを付けて踊り、タップ音をダビングします。最高の音質が出るよう、楓材のマットを敷いたそうです。
 タップ音をあとからダビングすることにはもう一つ利点があります。当時飾りの付いたタップシューズは手に入らなかったので、きれいな靴を履いて撮影が可能になるのです。

 彼女のプロダクションナンバーは他のスターにとっても魅力的だったようです。撮影時にはセット内に特別の観客席が設けられ、ジーン・ハーロウ、グレタ・ガルボ、ジョーン・クロフォードらが見物に来ています。またクラーク・ゲイブルは彼女をたいへん評価し、撮影所内の移動に使う自転車の変わりに、高級車のパッカードを誕生日にプレゼントしています。

 MGMも稽古熱心なエレノアのために金を惜しまず、彼女専用のバンガローを建てています。床材は楓、バレエ練習用のバーや鏡を備え、さらに彼女とパートナーが一緒に練習できるよう、ドレッシングルームとシャワーが二つずつあったそうです。

コメント

_ (未記入) ― 2010年03月13日 08時54分34秒

さすがに‘女アステア’と言われただけあって、非常にダイナミックで魅力的ですね。ジンジャー・ロジャースではここまで踊れません。日本人受けするのはジンジャーの方でしょうけれど…。

_ OmuHayashi ― 2010年03月14日 22時54分33秒

お読みいただきありがとうございます。

エレノア・パウエルという人に普段あまり色気を感じないのですが、彼女の踊りの中ではこれが一番セクシーではないでしょうか。
20年近く前に「ザッツ・ダンシング」のビデオでこの踊りを知ってから、何度も何度も見返したのを思い出します。

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