「ハリウッドのライオン」 ルイ・B・メイヤーの生涯と伝説 その42007年04月15日 03時28分38秒


 いくら訳してもきりがないので、このへんで止めておきます。

 当時サラリーマンとしては全米一の高給取り(100万ドル?)であったL.B.とフリードの関係は、一代で財をなした社長とその部下と考えれば、けして珍しいものではないでしょう。L.B.もこの本ではケチで無能な嘲笑の対象ではなく、等身大の有能なビジネスマンとして描かれている(らしい?)ので、なかなかよいエピソードも出てきます。
 たしかに最大、最高の撮影所を作り上げた男が、ただ無能なだけのわけがありません。

 最後にホモつながりで(別に無理につなげなくてもいいが)、ヴィンセント・ミネリに関して書かれた部分を訳して、この項は終わりにします。




 アーサー・フリードのヴィンセント・ミネリを見る目に狂いはなかった。映画の撮り方--とりわけMGMでの撮り方--を二年間にわたり学んだ後、ミネリはA級作品の監督になった。しかしこの頃でもスタジオは彼に週給千ドルしか払っておらず、このクラスの監督の給与としては相場以下だった。ミネリの才能に疑問をさしはさむものは誰もいなかったが、ミネリ自身に対しては誰もが疑問だらけだった。

 「ヴィンセント・ミネリがラジオシティ・ミュージックホールで働いていた当時、ロックフェラーセンターにいた私を訪ねてくれたことがあった。」と美術監督のジャック・ハードは思い出を語る。 
 「一緒に彼のアパートに戻ると、ミネリは化粧を始め、口紅とアイシャドウをつけたんだ---変態だ」

 「何年か後に私がMGMに来ると、ミネリはすでに監督として成功していた。彼のところへ行き挨拶をしたが、私のことを無視したんだ。このときもまだ口紅とアイシャドウを塗ってたよ。 もちろん私の行動は慣例を破ったことになるのさ。MGMじゃ下っ端の者は、プロデューサーや監督から話しかけられない限りこっちから話しちゃいけないことになってたんだ。フォックスじゃみんな友達みたいだったけど、MGMは違ったね。」

 「映画の撮影所なんて田舎町みたいなもんさ。誰がどうだってことをみんな知ってるんだよ。ヴィンセントがゲイなのはわかってたんだ。だからジュディ・ガーランドも含めてみんなが、ヴィンセントと結婚したらどうなるかよく理解してなくちゃいけなかったんだよ。どうしてなんだろう? 誰もわからなかったんだ。 
 本当に頭がおかしい人たちのことも全部含めて、メイヤーが日常体制の中で対応せざるをえなかったことをよく考えてみた方がいい。彼のオフィスが緊急対策センターの役目も果たさなくちゃならなかったんだ。こういうことも考慮してみると、メイヤーのやりかたはそれほど悪かったわけじゃないよ。」


(2007年9月17日 一部改訳)

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