キャロル・ヘイニー その4 「アシスト」2007年01月03日 00時35分09秒

invitation to the dance

 「舞踏への招待」でアニメーションにされる前のヘイニー(「ザッツ・ダンシング」より)。
一瞬のたたずまいに愁をおびた愛情が伝わってきます。
 ロマンティックな曲を踊る彼女の貴重な映像なので、うまく編集して、ぜひ一曲分まるまる見せていただきたいものです。

1950年から1956年はジーン・ケリーのアシスタント時代です。MGMにたどり着く前にもコロンビアやWBでコーラスとして踊ったり、スターの指導をしていますが、どのプロデューサーからも「写真映りが悪いのでミュージカルスターにはできない」と切り捨てられてきました。そこでケリーから「このままコーラスを続けて才能を無駄にするより、これまでの経験を生かして振付のアシスタントをフルタイムでやってみないか」と勧められMGMと契約することになります。その後の彼女のケリーへの忠誠と敬愛は多くの本やインタヴューに証言されています。

 それではアシスタントとしてどんなことをしていたのでしょう。

 振付ではアイデアを彼女が出し、良いものをケリーが採用する場合もあったようです。当然、実際に踊ってみることも必要でしょう。ケリーのアイデアや振付を他のダンサーに伝える役目もありました。さらにケリーでは手が回らない個々のスターの指導は、彼女やジニー・コインが受け持つことになります。

 「巴里のアメリカ人」ではレスリー・キャロンやジョルジュ・ゲタリーを指導しています。とくにゲタリーの唄う「天国への階段」では、彼もヘイニーも疲労で崩れ落ちたと言うくらい徹底的にやっています。この場面でのゲタリーの動きはヘイニーを完全に模倣したものだそうです。またこの場面でのすべての動きを掌握していたため、撮影時、階段の照明のコントロールまでまかされています。
 ケリーがロートレックの絵を模して踊る場面も、「力強いダンス」が必要だったため、彼女の踊りのスタイルが大きな助けになったようです。

 「雨に唄えば」ではデビー・レイノルズへのダンス指導のほか、シド・シャリースのベールを使ったダンスでは、ベールを風になびかせるためジニー・コインとともに航空機用のエンジンの操作までしています。またドナルド・オコナーの「Make' em Laugh」ではオコナー、コインと三人でオコナーの即興を一つにまとめあげる役割も果たします。

 「ブロードウェイ・バレエ」での経緯はすでに書いたので省きます。

 「舞踏への招待」ではフランスの田舎に家を借り、ケリー、ヘイニー、コイン、秘書ら数人で数ヶ月を過ごし、振付の構想を練ることになります。
 また第二部の「リング・・・」はヘイニーとコインのカウントだけとか、仮の音楽に合わせて撮影されます。作曲のアンドレ・プレヴィンは約三十分の無声映画を渡され、これに曲をつけることとなります。そのため録音室にプレヴィンとヘイニーが約三週間、朝九時から深夜まで詰め、ひとコマひとコマ、タイミングをあわせケリーの振付の意図やテンポを考えながら音楽を付けていったのです。

 ケリーとの共同作業は1954年の「ブリガドーン」まで続きます。

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