エレノア・パウエル その2 「生い立ち」2007年02月04日 02時58分38秒

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  「どんなに踊ることが好きかって言うと、ご飯を食べるよりダンスをしていたいくらいよ」

 「ダンスは本当に好き。世界中で私より踊ることの好きな人はいないと思うわ」


エレノア・パウエルは1912年、マサチューセッツ州スプリングフィールドの生まれ。母親の生家はニューイングランドの旧家の末裔ですが、当時すでに豊かとは言えず、さらにエレノア2歳のとき両親が離婚します。このため母親が一家を支えて働き、代わりに母方の祖父母に育てられます。
 幼い頃のエレノアはたいへん内気で、客が来ると隠れてしまうほどだったため、心配した母親は彼女をバレエ教室へ通わせます。エレノア7歳の時でした
(ダンスを始めた年齢は6歳から11歳まで諸説ありますが、原因はインタビューごとに年齢のさばをよんでいたことにあるようです)。
 教室で教えていたのはクラシックバレエとアクロバット・ダンスでしたが、彼女はたちまち踊ることに熱中するようになります。

 「もう夢中で、周りには目もくれず、音楽にまかせて踊ったの。これが私の居場所なんだって感じたのね」

 1925年の夏、親戚を訪ねて一家はアトランティックシティーへ出かけます。この時、一人砂浜で踊っていたエレノアは、プロデューサー、ガス・エドワーズに見い出され、アンバサダー・ホテルの子供ショーに出演するようになります。このときの出演料、週三回で21ドルは母親がコーヒーショップで稼ぐ週給より多かったそうです。

 秋の訪れとともに故郷での学校生活に戻ったエレノアは、翌1926年の夏も再びアトランティックシティーのショーに参加。1927年に学校を終えると、本格的にショービジネスの世界にはいっていきます。夏の間アトランティックシティーのショーに出演すると、秋には母親とともにニューヨークに出て、ナイトクラブやボードビルで生計を立てながらブロ-ドウェイデビューを果たします。しかし公演は短期間で終了。 その後もオーデションを数多く受けますが、タップダンスのできない彼女はなかなか採用されません。
 ここに至ってエレノアはタップダンスのレッスンを受ける決意をします。実はこの頃まで彼女はタップを踊りとしてバレエより一段下に考えていたのです。

 16歳のエレノアは、当時マリリン・ミラーのパートナーとして知られたジャック・ドナヒューから35ドルで10回の講習を受けることになります。ところが始めてみると、バレエとは勝手の違うタップダンスは戸惑うことばかりでした。一度の稽古でやめようと考えたエレノアでしたが、結局ドナヒューに呼び出されレッスンを続けることとなります。
 当初彼女が戸惑ったのは、全身を使い、軽く舞うように踊るバレエと、足だけを使い重心を低くして踊るタップの違いでした。そのため、ドナヒューは彼女の足首を押さえたり、サンドバッグを縛り付けたりと工夫しながら、タップの要領を教え込みます。そうこうするうち、彼女は「突然、代数がわかるのと同じように」タップダンスのコツを理解し、それ以後教室では皆の前でドナヒューとお手本を見せるほどになったと言います。

 エレノアが正式にタップダンスを習ったのは後にも先にもこの10回だけです。たとえバレエの基礎があったにせよ、わずかこれだけのレッスンでタップダンスをものにしてしまう才能にはただ驚くばかりです。