エレノア・パウエル その7 「溶け合わない」2007年02月22日 00時59分59秒

踊る不夜城

「踊る不夜城 」(Broadway Melody of 1938)から”I'm Feeling Like a Million”(「素敵な気分」)
お相手はジョージ・マーフィー。

 踊り始めた二人は公園の「あずまや」に入り、雨に降られます。当然のことながら「トップ・ハット」の有名なナンバー、アステア=ロジャースが踊る「雨に降られるなんて素敵な日じゃない?」( Isn't It a Lovely Day to Be Caught in the Rain?)を意識した設定です。
 とはいえストーリーから言って、恋人でないマーフィー(恋人はロバート・テイラー)と踊ってロマンチックになるはずもありません。踊りのほうもこれまた見事にロマンティシズムに欠けています。二人の踊りが溶け合わず、ずっと平行線をたどっているばかりか、エレノアの力強さばかりが目について、互いのバランスが取れないのです。おまけに、深さが胸まである水たまりに二人で飛び込むという、スラップスティックのようなおちがついて、「すごい」としかいいようがありません。
 
 一般に男女二人が踊る場合、二人が外見上「ひとかたまり」になった上で、互いの存在感の強弱からその「ひとかたまり」の中に重心が現れます。当然女性の方が目立つのでその点では女性の方に重心は偏りますが、普通、男性側が女性を「見守る」ことによって重心を呼び戻し、バランスが取れるのが一般的です。
 ところがこの場面では、元来エレノアのダンサーとしての技量や存在感が圧倒的に強いうえ、この人のロマンチックな感情交流の表現力の欠如のため、マーフィーとの心の通い合いがないままに、エレノアの力強い身体性ばかりが印象付けられることになります。下手をすると彼女の方がマーフィーを振り回しているようにさえ感じられるのです。

 たとえばアステア=ロジャースの「ブロードウェイのバークレー夫妻」のナンバーと較べてみてください(ジンジャー・ロジャースのダンスは明らかにRKO時代より上手くなっています)。
 ジンジャーの恥じらいを含んだ「安心できるセクシーさ」がやわらかい雰囲気をあたりに醸し出し、アステアの乾いた明瞭さと溶け合ってこの二人にしか作れない世界が現出します。まさにケミストリーのお手本です。

 エレノアの踊りを語りだす最初から、欠点をあげつらってばかりいると感じられるかもしれません。しかし、ダンサーとして完璧に作り上げられた身体から現れる現実の肉体としての力強さと、周囲にバリアーを張り巡らしたような強い存在感---この二つは、彼女の比類のない長所を語っていることでもあるのです。

 もちろん相手役とのケミストリーを生まない「芝居ごころ」のなさは、彼女の欠点ではありますが・・・・。