ドナルド・オコナー その3 「The Jivin' Jacks and Jills」2007年06月02日 00時53分09秒

Private buckaroo

”Private Buckaroo”(ユニヴァーサル 1942年)より
"James Session" を踊る The Jivin' Jacks and Jills
オコナーは左端の軍服姿(たぶん)
隅に追いやられて、ダンスシーンはあまり映っていません。

踊りながらチラチラとわきのダンサーを見るので、いかにもダンスに自信がないように感じられます。


 1937年、11歳のドナルドは兄のジャックやビリーとともに、クレジットにも出ないダンサー役で映画”It Can't Last Forever”に出演(“Melody for Two” 説もある)。以後1939年の”On Your Toes"までに計12本の映画に出演します。ほとんどは小さな役ですが、「ボー・ジェスト」(1939)では主人公ゲーリー・クーパーの少年時代を演じています。
 その後ドナルドは舞台に戻り、家族とともにヴォードヴィルで活躍しますが、ユニヴァーサルのスカウトに見い出され、1942年から再び映画に出演するようになります。

 この頃ユニヴァーサルでは十代のダンサーで構成されたグループJivin' Jacks and Jills(総勢十数名)をつくり、低予算のミュージカルで同世代の観客を惹きつけようとしていました。ドナルドもこの一員として、ペギー・ライアンやグロリア・ジーンの相手役をつとめることになります。
 ここで問題になったのが彼のダンスの能力でした。ドナルドは三歳から、タップダンスをはじめ歌やアクロバットにいたる芸を仕込まれています。しかしヴォードヴィルでは、それぞれの芸人の十八番を観客が期待するため、同じ芸の繰り返しになりがちでした。彼のタップはレパートリーが少なく、また新しいステップや振付を覚えるのも苦手だったようです。その結果グループで踊ると、コンビの(踊りの上手い)ペギー・ライアンともども後の列に追いやられてしまうのでした。

 ところが最初のJivin' Jacks and Jillsの映画が公開されるとファンレターがドナルドとペギーに殺到。そのため二人が役の上でもダンスでも中心になっていきます。二人はMGMのジュディ・ガーランド=ミッキー・ルーニーコンビに対抗する、ユニヴァーサルの廉価版ペアになったのです。
 当時のドナルドは週給600ドルに過ぎませんが、毎月ユニヴァーサルには35,000通のファンレターが届いたそうです。1943年になるとドナルドをはじめとするJivin' Jacks and Jillsのメンバーが徴兵されていきますが、ユニヴァーサルはそれを見越して、それまでに計十四本のJivin' Jacks and Jills映画を撮影しておき、彼らが不在の1945年までの二年間にも、年三本のペースで「新作」を配給して行ったのです。

 軍隊では慰問の仕事に従事したドナルドは、除隊とともにユニヴァーサルに戻り新しいキャリアを築くことになりますが、ファンにとってはつい最近まで新作が公開されていたので、少しもギャップを感じなかったようです。