ヴェラ=エレン その3「バニー」2007年10月01日 00時27分33秒


10歳の彼女、あだ名は「バニー」
人を惹きつける愛らしさは天賦のものです。

 
 ダンスの勉強を始めたヴェラ=エレンはたちまち頭角を現し、十代の初めにはすでにスタジオの講師を務めるまでになります。ダンスだけに限らず、学校の勉強でもすべての科目に優秀な成績をあげ、また応援バンドのリーダーを務めるなど常に皆の注目を集める存在でした。
 またこの頃からスターになるという目標をもっていたようです。

 彼女が多くのことに秀でていた理由の一つは、後に自ら「始めたことはなんでも完璧にこなしたいという欲望の犠牲者」と公言するほどの完全主義です。
 彼女の常に絶やさぬ笑顔や、人に優しく思いやりのある性格は父親から受け継いだようですが、この完璧主義はどうも母親からのようです。

 母親のアルマは「いつかひとかどの事を成し遂げてみたい」という強い意志を持った人でした。
 何ごとにも几帳面でしたが、なかでも食事療法には熱中し、ヴェラ=エレンのダンサーとしての体形を作るために当時提唱されていた食事法を施します。これは塩、パン、パスタ、シリアルにレモンやグレープフルーツなどを避けるという、現在の栄養学の観点から見れば誤ったものだったようですが、こんなことも影響したのか、一時学校で「彼女が小さいのは母親がピンクのバナナを食べさせてわざと大きくならないようにしているからだ」という噂が流れたそうです。

 こんな母親にとって、才能に溢れ人を惹きつけずにおかない娘は、自分の願望を成し遂げるための大切な対象であったと思われます。娘への期待がますます大きくなるとともに、仕事も少なくこれといった目標も持たない夫に対する失望が明らかになっていきます。

 1936年、スタジオの勧めでニューヨークで開かれたダンス教師のための講習会に出席したヴェラ=エレンはその感激が忘れられず、二ヵ月後に父を説得し、母親と二人再びニューヨークへ向かいます。そこで当時有名だったラジオ番組「ボウズ少佐のアマチュア・アワー」に出演し認められると、翌’37年1月に再び同ショーに出演。そこからボウズ少佐の”All Girl Unit”に参加し全米を巡演することになります。

プロの世界が目の前にあります。




 
 ダンス・スタジオ時代、熱心な彼女は近くに住む同年代の子供たちをダンスのレッスンに誘いスタジオに通わせます。そのうちの一人に、近くの町に住むドリス・カペルホフという女の子がいました。

 後のドリス・デイです。

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